恋をするって当たり前?〜『恋せぬふたり』から考える ”わたし”を見つける物語〜
「いい社会が見えないと、いい社会になれない。居場所が見えないと、世界に存在できない。」 ーヤンス・フォード(『DISCLOSURE:Trans Lives on Screen』より)
「恋バナは人類共通の話題である」と信じて疑わない人がいる。
好きな人の話や、過去の恋愛、性経験の話は、物心ついたときからずっと話題の中心。必ずしも異性愛者であるとは限らないが、恋をしない、セックスを望まない人なんていない。
あえて口にされることはなくとも、社会に根深く存在しているこの前提について、考えたことがあるだろうか。
「LGBT」の認知度は80%、一方で…
日本において、「LGBT」という言葉は常識のレベルまで浸透した。しかし、世間一般に知られていない性の多様性は多く存在する。「アセクシュアル」という性的指向もその一つだ。2020年に電通が行った調査によると、全国における「LGBT」の認知度は80%を越えた一方、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー以外の性の多様性については「言葉自体聞いたことがない」と回答した人が8割、アセクシュアル・アロマンティックについては「意味を知らない」と答えた人が94.4%を占めた。
電通、「LGBTQ+調査2020」を実施 - News(ニュース) - 電通ウェブサイト
こうした現状の中で、アセクシュアルのキャラクターを主人公においたドラマ『恋せぬふたり』が、2022年1月よりNHKで放送されることが決定した。主演は岸井ゆきのと高橋一生、脚本は『チェリまほ』を手がけた吉田恵里香が務める。地上波で全国放送される本作は、アセクシュアルというセクシュアリティについて、一般認知を広める大きな機会になることは間違いない。このニュースを受けて、SNS上ではアセクシュアル当事者の人々から喜びの声が上がった。しかし同等かそれ以上に、ドラマへの懸念の声も見られた。そこには、これまで「いないこと」にされてきた当事者の人々が直面してきた数々の不安や困難の経験と、メディア・エンタメに対する不信感が渦巻いていた。
「他者に性的・恋愛的に惹かれない」という性的指向
アセクシュアル当事者については、国内の調査も少なく、その実態はほとんど明らかにされてこなかった。しかし日本で初めて、これが数字として可視化されることになる。
2020年、アセクシュアル、アロマンティック当事者を対象にした量的調査「Aro/Ace調査2020」が有志団体によって行われた。
ace-community-survey.jimdosite.com
Aro/Ace(アロ/エース)とは、他者に恋愛的に惹かれない「アロマンティック」と、他者に性的に惹かれない「アセクシュアル」*1、加えてその周辺カテゴリーに属する人を総称する、「アロマンティック/アセクシュアル・スペクトラム」を表す。調査の結果からは、性自認、年齢、性的・恋愛的な惹かれや性欲、嫌悪感の有無、パートナーを望む・望まないなど様々な点において、アセクシュアルと呼ばれる人の中にも多様性、グラデーションがあることが改めて示された。
見逃してはならないのが、回答者の半数以上が「Aro/Aceとして生きることに不安/困難を感じる」と回答したことである。具体的な経験については、「パートナー関係に困難(27.0%)」、「不愉快な質問(26.3%)」の順で多く、自由解答の中には、以下のような記述も見られた。
「誰も自分のことを分かってくれないのではないかと思い悩むことがあった」
「人間じゃない、人の心がないと言われた」
「恋愛する気がないなら、可愛くいないで欲しいと言われた」
「職場で婚活していないことを批判された」
「男性にも女性にも惹かれないと伝えたら、そんなことがあったら病気だと笑われた」
「精神医療の場で認知度ゼロだったため、説明に苦慮した」
「誰もが恋愛をするもの、性的に惹かれるもの」という前提や、恋愛・セックスこそ最たる幸福であるという考えが多数を占める世の中では、Aro/Aceというセクシュアリティについてまともに取り合ってもらえないことが多い。いい相手に出会っていないだけだ、最近の若者の傾向だと言って片付けられたり、何か特別な主義を持っているだけと勘違いされたり、精神的/身体的疾患やコンプレックスがあるせいだと"治療"や"克服"を勧められたりすることもある。医療現場や公的な相談窓口においてさえ、十分に認知されているとは言い難い。
生き方や価値観の多様性が広まりつつある現代社会においても、Aro/Aceの人々の存在は多くの人に見えていない。それゆえに、本来感じる必要のない生きづらさが、当事者に押し付けられてしまっている。そんな人々に、何ができるだろう。そして社会にある前提を変えていくには、何が必要だろうか。
不足する当事者の“居場所”
「Aro/Aceの人たちには、いつでも当事者に会える場所が現在ほぼないので、そういった場所ができればいいなと思います。」
NPO法人にじいろ学校の代表理事を務める今徳はる香さんは、当事者にとっての“居場所”を作り出す活動をしている。
にじいろ学校は、『全てのセクシュアルマイノリティに居場所とコミュニティを』を活動理念に置き、LGBT 以外のセクシュアルマイノリティについての認知向上を目的とした発信活動や、当事者が参加できるイベント、交流会の運営などを行なう団体だ。
にじいろ学校の交流会は、現在Aro/Aceの人々に向けた枠がメインになっている。
「設立当初から、他にもいくつかLGBT以外のセクシュアルマイノリティのための交流会を開いてきた中で、Aro/Aceの回が一番需要があったんです。開催している他の団体もありませんでした。」
にじいろ学校が設立されたのは2016年。当時すでに、LGBTに関する活動団体は複数存在していた。しかしLGBT以外に該当するセクシュアルマイノリティを支援している団体は少なく、その中でもAro/Aceの人々に向けた活動は皆無に等しかった。もちろん当事者同士で集まれるような機会もない。にじいろ学校の交流会に需要が集中したのは自明の理であった。
交流会では、自認のきっかけや日常で味わうモヤモヤ・悩みを共有をしたり、パートナーや恋愛感情の有無について、結婚、子供、老後などのライフプラン、あったらいいなと思うものやサービス、恋愛・性的な話を振られたときの対処法など、様々なテーマが話される。参加者からは、「自分以外の当事者に会えてよかった、話せてよかった」という声が聞かれ、「また違う人とも話してみたい」とその場で次回分のチケットを購入する人も多い。
「交流会の定員は基本的に埋まります。ツイッターのフォロワー数が年々増加していることもあり、自認する人は増えているのだろうと思います。」
世間一般の認知が低いとはいえ、こうしたNPOの活動や、多くの活動家の尽力により、「アセクシュアル」という言葉にアクセスできる人の数が増加し始めていることは確かである。ドラマ『恋せぬふたり』をきっかけに言葉に出会う人も少なくないはずで、交流会のようなイベントやコミュニティの需要は、以後ますます高まっていくだろう。
にじいろ学校は今後、いつでも当事者と話せるようなコミュニティスペースの設置や、Aro/Ace として生きていくためのライププラン講座の開催など、セクシュアリティを自認したその先にある需要に応える活動へ力を入れていくという。
しかし、どんなに当事者同士のコミュニティが形成されていても、世の中にある認識が変わらない限り、当事者の抱える困難や不安は生産されていくばかりだ。恋愛至上主義が蔓延り、Aro/Aceの人々が「いないもの」にされてしまう社会のままでは、当事者を苦しめている不愉快な質問や発言、差別が消えることもない。
その存在を可視化させ、社会全体の認識を変えるためには、情報を幅広いターゲットに向けて発信する、メディアの力が必要である。
無関心な人にどう届けるか?
『AセクAロマ部』は、アセクシュアル、アロマンティックについて学ぶためのコンテンツが詰まったウェブサイトだ。当事者である/ない、かもしれないにかかわらず、 Aro/Aceに関する不安や疑問を解消するための"居場所"として、「用語の意味を知りたい」「カミングアウトされたらどうすればいいのか」「子どものために情報を知りたい」など幅広いニーズに応える。
運営しているのは、自身もアセクシュアル・アロマンティックを自認する、映画ライターのシネマンドレイクさんだ。
小学校中学年くらいからでも気軽に読めるように、と工夫されたコンテンツは、主にキャラクター同士の対話形式で書かれ、セクシュアリティやジェンダーについての予備知識がない人にもわかりやすく説明されている。歴史をふまえた用語解説のほか、アセクシュアルには性欲がないの?」「感情がないの?」「治せるの?」といった疑問に回答する記事がその多くを占める。
アセクシュアル・アロマンティックの人は感情がないのですか? | AセクAロマ部
アセクシュアル・アロマンティックは治せますか? 治療できますか? | AセクAロマ部
「『AセクAロマ部』は、当事者の負担を少しでも減らしたくて作りました。Aro/Aceを公表する人々は、質問攻めに遭いやすい、もしくは質問すらされず、わかった気になって誤解されてしまう、ということが多々あります。当事者の代わりに、面倒な質問に答えるためのサイトになったらいいなと思っています。」
シネマンドレイクさん自身がアセクシュアルという言葉に初めて出会ったのは、英文で書かれた海外のサイトだった。だが今では、『AセクAロマ部』をはじめとするウェブサイト、にじいろ学校のような活動団体、一般向けの書籍など、ワード検索をするだけで容易に日本語の情報に辿り着く。それでもなお、世間の認知は低いままだ。
「検索するのはすでに関心がある人です。問題は検索すらしようともしない無関心な人にどう情報を届けるのか。それはやはり、他のメディアが取り上げないと難しいのだろうと思います。」
LGBTという言葉とその存在が社会常識となったのは、当事者コミュニティや活動家たちの尽力はもちろん、その声をあらゆるターゲットに向けて発信し、姿を映してきたメディアによる影響が大きい。
「Aro/Aceのキャラクターが当たり前に創作物の中に登場すれば、世間の認識は間違いなく変わり始めるきっかけになると思います。」
Aro/Aceに関してはこれまで、国内では一部の報道メディアが取り上げるに留まり、映画やドラマといった創作物にAro/Aceの人物が登場することもほとんどなかった。そんな中で、全国に発信力を持つNHKから、"よるドラ枠”として幅広い視聴者に向けて放送される『恋せぬふたり』は、自ら情報を取りにいくことのない無関心層にアプローチする絶好の機会であり、世間の認知を底上げするまでに強い影響力を持っていることは明確だ。
しかしその期待を、このドラマにだけ、背負わせざるを得ない現状を考えたい。日本国内に限らず、世界的に見ても、Aro/Aceのレプリゼンテーション*2は非常に少ない。また創作物の影響力は、必ずしも当事者の人々にとって良い形で作用するとは限らないということも、忘れてはならない。
創作物が持つ影響力の二面性
シネマンドレイクさんは映画ライターとして、自身のウェブサイト『シネマンドレイク』に作品レビューを投稿している。その数は現在1400を超え、LGBTQ、BLM、フェミニズム、マスキュリ二ティなど様々な視点をふまえたレビューの中、映画・ドラマといった創作物におけるアセクシュアル、ノンバイナリーの表象についても言及している。
昨今、LGBTQを題材にした創作物は徐々に増えてきてはいるものの、未だその数は少なく、中でもAro/Aceのキャラクターを主題的に描いた作品はほとんど存在しない。GLAAD*3の調査によれば、2020~21年の間にアメリカで放送・配信されたテレビシリーズのレギュラーキャラクターのうち、LGBTQに該当するのはわずか9.1%で、さらにそのうちアセクシュアルのキャラクターはたった1人。しかもこの4年間、ずっと1人のままである。
「宇宙人や怪物、幽霊などが登場する映画やドラマはたくさんあります。私たちはそういう作品を見て、宇宙人・怪物・幽霊のイメージを膨らまし、中には現実に存在すると思う人もでてきます。現状、Aro/Aceのキャラクターは宇宙人・怪物・幽霊よりも創作物の中に登場しません。明確に実在しているにもかかわらず、です。すると世間の人は Aro/Ace の人が実在していることを知らずに、信じなくなります。『きっと良い人に出会っていないだけだろう』『病気なんじゃないの?』というような言葉を投げかけてくるわけです。」
映画やドラマの中に登場することで、存在が可視化される。それをきっかけに多くの人が、無意識に信じ込んでいた前提や、無自覚の差別・偏見に気づくことで社会が変わっていけば、当事者が実際に直面している不安や困難は少しずつ減っていくかもしれない。
ただし、単にキャラクターが登場すればいいというわけではない。その表象の在り方によっては、当事者の絶望を再生産することにもなりかねないからだ。
Aro/Aceのキャラクターは、数こそ少ないものの、著名な海外映画やドラマに登場した例はある。だが、そのキャラクターにポジティブな光が当てられるというよりも、浮世離れした変人、または最終的に治癒する"疾患"のせいだった、など、さらなる誤解や偏見を助長するような描写をされていることが多い。
Aro/Aceを含むLGBTQの人々は、無知や偏見による歪んだ・誤った表象で、これまで何度も創作物に裏切られてきた。またその作品たちが大勢の"無関心層"に誤った認識やステレオタイプを植え付けたことで、当事者の人々が実生活で謂れ無い言動や差別を受けることにも繋がってきた。
「場合によっては専門家の監修は必要です。ただ、監修があればいいというものでもありません。監修者が創作に関与する権限が低ければ、作品の表象を改善するだけの効果を発揮せず、製作者の自己満足のために利用されるだけだと思います。」
物語がつくる"居場所"
「映画が観客を傷つけることはあります。とくにマイノリティな立場にいる人ほど傷つけられやすい。一方で、現実社会よりも映画の方が居場所になることもあります。現実が嫌になってもいいと肯定してくれる力が、映画にはあると思います。」
これまで周囲を見渡しても出会えなかった自分、否定されてきた自分を、創作物の中に見つけることができれば、作品はその人の居場所になる。「自分はひとりじゃない、何もおかしくない」「自分も成功できる、幸せになれる」と、一人でも多くの人が人生に希望を抱けるようにするためにも、そして現実の社会を変えていくためにも、レプリゼンテーションを増やしていくことは非常に重要である。
ただ、作品の中にジェンダー/人種的マイノリティに該当するキャラクターが登場することに対して「行き過ぎたポリコレである」と主張する人々が、世界中にいることも現実だ。映画ファンコミュニティを長く見つめ続けてきたシネマンドレイクさんは、このようなバックラッシュ(社会的弱者の平等推進や地位向上に反発する動き)は、年々激しさを増していると語る。
「紛れもない事実として言いたいのは、Aro/Aceを含むLGBTQ作品はまだ少ないという現状です。登場作品が乏しかったり、出番が少なかったり、マイノリティの種類によってはゼロだったりするのが今の現実で、これを「行き過ぎている」というのはどう考えても無理のある主張だと思います。」
2021年公開のアメコミ映画『エターナルズ』では、主要人物として同性愛者、多様な人種のキャラクターが登場することに対してのバッシングが相次ぎ、公開前にも関わらず著名な映画評価サイトで大量の低評価がつけられるという荒らし行為*4も起きている。
「それだけ世の中にはLGBTQに対して差別的な感情を持っている人が潜んでいる、という現れだと思います。LGBTQの人を直接的に罵倒できなくても、映画の感想という体裁なら許されると考えている人、"言論の自由"を言葉や文章の暴力に利用しているような人たちが一定数いるのだと思います。」
「映画やテレビといった映像メディアは、歴史的に何十年もLGBTQへの差別や偏見を助長してきました。その汚点をたった数作で払拭できるわけはなく、そこには重い責任があります。Aro/Ace を含む LGBTQ のキャラクターを登場させることを企業の多様性アピールの飾りにさせてはいけないですし、その創作物が社会や政治を変えるほどにならないと意味はないと思います。」
最初はただ感想を整理するために始めたレビューサイト『シネマンドレイク』。今ではレビューにとどまらず、映画業界やファンコミュニティに対しても声を上げているのは、シネマンドレイクさん自身が、大好きな映画の中に「自分の物語」をもっと見出したいと願っているから、そして映画が持つポジティヴな影響力を信じているからだ。
「私は凡人なので、映画業界を変えるなんて大それたことはできません。でも私の感想を見た人が、もっと自分のジェンダーやセクシュアリティに絡めながら、自分なりに作品の感想を述べてもいいんだと思えるようになったらいいなと思っています。そして、自分が声を上げることで、他の人も声を上げようと思ってくれるかもしれない、苦しんでいる人をサポートできるかもしれない。そう思って、これまで通りできることをしていきたいです。」
レプリゼンテーションの数と多様性を増やす
『恋せぬふたり』の放送発表時に集まった当事者の懸念の多くは、表象の在り方に関するものだった。ドラマで描かれるにあたって、自分たちの存在を歪められたら、ただでさえ多い誤解を再生産するものだったら、定義やイメージが固定化してしまったら…それを押し付けられて、余計に生きづらさを感じることになるかもしれない。アロマンティック・アセクシュアルについての認知すらほとんどない日本で、主人公たちのドラマをどう描くのか?そして世間はどう受け止めるか?
認知向上のための初手ともいえる作品として、「当事者同士である男女の主人公が同居する」という物語に対する懐疑的な声も多かった。Aro/Aceを自認する人は必ずしも特定のパートナーを欲したり、他者との同居を望むわけではないため、ドラマの影響で「アセクシュアル=パートナー(異性)や同居を求める/抵抗がない」という認識だけが拡散していってはならない。また日本のドラマ作品において「異性同士がひとつ屋根の下に住む」という展開は、最終的に同居人同士の恋愛に帰結することが多い。またしてもそういった物語になってしまうのではないかという不安に加えて、たとえ制作側が意図せずとも、二人の関係に恋愛要素を見出して消費しようする視聴者が出てくる可能性も捨てきれない。
幸い『恋せぬふたり』は、にじいろ学校による資料提供をはじめ、調査団体の考証や、当事者個人への取材を行った上で撮影されていることがわかっている。だからといって手放しで喜べるわけではないが、まずはこのドラマを通して、一人でも多くの人が「他者に恋愛的/性的に惹かれない人も存在する」ということを認識し、正しい知識が得られることを願う。
そしてこれからは、「恋愛・性的関係を伴わないパートナーがいてもいい」だけではなく、「一人でも幸せに満ちた生き方ができる」という物語があったっていい。Aro/Aceの人物が、いろんな物語の中に当たり前に登場して、キャラクターの役割、所属、職業、性自認、恋愛・性的指向、ライフスタイルなども多様に描かれれば、一つの作品によってイメージが固定化される心配もなくなる。過剰な期待を背負わせずにすむ。この作品だけが全てではないと、大多数の人が理解できるくらいにレプリゼンテーションを増やすことが、今後必要なのだ。
自分のようなキャラクター、手本にしたいロールモデル、自分の居場所…それらを見出せる物語が、もっと当たり前に世の中に溢れたら、胸を張って生きていける人がたくさんいる。1日でも早く社会を変えるためにも、メディアや創作に携わる者は、多様なレプリゼンテーションのさらなる実現が求められる。そして享受する側である我々も、その動きを推し進めるための力であり続けなければならない。
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以上は2022年1月に講座の卒業制作として提出したものを加筆したものです。(取材・提出は『恋せぬふたり』放送開始前)
○取材協力
特定非営利活動法人 にじいろ学校様 https://www.nijikou.com
シネマンドレイク様 https://cinemandrake.com/
○参考
ジュリー・ソンドラ・デッカー(2019)『見えない性的指向 アセクシュアルのすべて―誰にも性的魅力を感じない私たちについて』,明石書店
アセクシュアル当事者であるかどうかに関わらず必読の一冊だと筆者は思っています。ドラマを通じてAro/Aceを知った方や、もっと知りたい方、自分もそうかも?と思っている方、疑問を持った、よくわからなかったという方にぜひ読んでほしいです。
www.netflix.comハリウッド作品においてトランスジェンダーの人物がどう描かれてきたのかを追うドキュメンタリー映画。Aro/Aceについての言及は出てきませんが、メディアや映画の持つ影響力、(当事者による)レプリゼンテーションを増やすことがなぜ重要かなど、業界関係者の口から語られています。
*1:それぞれ絶対的な定義ではない。例えば、世界最大規模のアセクシュアル・コミュニティAVENでは、アセクシュアルを「性的惹かれ(sexual attraction)を経験しない人」と定義している
*2:表現、表象。映画やドラマ、広告、メディア、政治、スポーツなどさまざまなシーンにおいて、多様性が適切に表現されること。参考:https://front-row.jp/_ct/17467446
*3:映画やドラマなどメディアでのLGBTQの人々の描かれ方をモニタリングしているアメリカの組織
*4:https://www.pinknews.co.uk/2021/10/28/marvel-eternals-review-gay